それはおびただしい量の着物でした。
大叔母、大叔母の舅姑の着物があちこちの箪笥からどっさりと出てきて、わたしと両親は目が白黒。さらに布団もあちこちの押し入れから出てきました。
思い返せば、大叔母は家事が苦手でした。
料理はもとより、整理整頓や掃除が苦手な女性だという認識がわたしと両親の中にはありました。
表面上は小綺麗に整えるけれど、料理の味は中途半端、部屋の隅々に小物が散乱、というイメージが常にありました。
ただただご近所さんへの「見栄」のためだけでそれなりに整える女性だ、と。
特に大叔母の舅や姑、ご主人(わたしの大叔父)が10年間の間に相次いで亡くなった後、大叔母は家に一人になり、ますますその傾向が強くなりました。
母も父も薄々、「大叔母が亡くなったら遺品の整理が大変そう」という認識はありましたが、実際に足を踏み入れると絶句。
20年以上一人暮らしをした大叔母の家はガラクタの山だった
大叔母の家はわたしの亡き祖父の兄弟が建てたもの。
田舎の話ですので、築60年強、広大な敷地に平屋づくりの無駄に広い家(多分12DKor11LDK)、離れ、蔵もあります。
50代の終わりから60代のはじめにかけて、舅姑、夫を相次いで見送った大叔母。そして、大叔母の息子は大学時代から遠方へ行き、戻る気配は皆無。
そのため、大叔母は広大な家で20年以上にわたって一人暮らしを。
大叔母はお金に困ることはありませんでしたので、マメに庭の手入れをし、たまに家の掃除をする人を頼んでいました。外出は常にタクシーで移動し、百貨店で買い物をして、よく我が家にも肉や佃煮、うなぎなどの差し入れをしてくれました。母などはかなり大叔母から洋服やアクセサリーを貰っていたものです。
その頃からうっすらと危惧はありました。
「あの家、どうなっているんやろう・・・亡き人の荷物を処分しているという話は聞かへんから、相当にガラクタがたまってそうやな・・・」
その言葉が現実になりました。
わたし達が訪問したらとおされる居間や仏間、客間はそれなりに小綺麗に整えられています。
が、家の奥へ進むと別の装いを見せました。どの部屋にもおびただしいほどの「モノ」や「ガラクタ」が積み上げられていました。大叔母一人のモノではなく、大叔父、その両親のモノも雑然と、いえある意味、綺麗にすべてが残されていました。
ああ、大叔母一人ではモノを処分できなかったのだろう、と今更ながらの現実に気づかされました。

3世代に渡る着物と帯、食器、宝石、巻物、骨董、衣類の山
わたしと両親が絶句したもの。
- 家具
- 布団
- 着物と帯
- 食器
- 宝石
- 巻物
- 骨董
- 衣類
- 鞄と靴
- 紙の書類
- 鉢植え
いやもうすべてがおびただしいほど存在しています。恐ろしい数です。
わたしは亡き祖父母の遺品整理をしたことがあります。同居している祖父母の場合はわたしと両親にとって、おおむね想像できる範囲のものでした。亡き祖父母の思い出を語り合いながら、祖父母の部屋や小屋をせっせと掃除をしたものです。
が、大叔母の遺品整理はわたしの想像を超えていました。
家一軒まるまる大叔母とその夫、舅姑の荷物が残っており、それはとんでもない量でした。

廃棄処分したもの
現実、廃棄処分したものが一番多かったですね。
布団と流行おくれの衣類、鞄や靴、変色している食器、家具、本、家電などはすべて処分しました。
一番驚いたのはいろいろな押し入れから布団がでてきたこと・・・!こちらの押し入れから、あら、こちらの押し入れからも、え、こっちにも布団が・・・!
もうカビがー!濡れているー!変なにおいがー!で布団類は即効すべて廃棄処分への道です。もう使う人はいません。
また、洋服も悲しくなるものがありました。
大叔母は購入したことも忘れていたのか、値札が付いたままで眠っている洋服やカバンが出てきました。
亡き大叔父のために買ったモノらしき衣類もでてきました。ひょっとしたら息子のために買ったけれど、着なかった、というパターンかもしれませんが、とにかく衣服がドッサリとてきました。

あと、鉢植えと食器類も困りますね・・・大叔母は一人暮らしを20年以上続けてきたのに、なぜ、こんなに揃った食器ばかりが、と切なく思いました。
それにしても、わたしの実家も含めて田舎の家にはどうしてあんなに食器が溜まるのでしょうか・・・
食器はリサイクルショップへ売りに出したものもありますが、ほとんどを廃棄処分をしました。
リサイクルショップに売りに出したもの
明らかにブランドのバッグ(ヴィトンやセリーヌ、エルメス)などは売りに出しましたが、保存状態が悪かったのか二束三文にしかならず・・・まぁ、ほとんどがアンティークの域でしたものね・・・
一生ものと言われてもブランドバッグも実際にはこんなものか、と妙に達観しました。おかげで、わたしはもうバッグにお金をかけない、と悟りを開きました。

あと、大量の着物と帯はすべて売りました。
大叔母のものだけではなく、亡き姑のモノも残っていました。アンティーク・・・!
娘がいれば話はまた違ったのかもしれませんが、一人息子とその嫁は全く使わないということ。また、わたしも母も着物に対して特に興味なし。なので、すべてをまとめて二束三文で売り飛ばしました。
巻物と骨董もすべて同じ道を歩み、潔く売りました。
つくづく自己満足の趣味に走った収集品というのは意図せずに哀れなものだ、と切なくなりました。が、「誰も欲しくない」というのが現実なんですよね。。。価値も分かりませんし・・・
メルカリやカウルでちまちまとわたしが売っているもの

まさしく、こんな宝石類がわんさかと出てきました・・・!
当初は着物やカバンなどもメルカリなどで売ろうかと思っていました。
が、着物やカバンは場所を取りますし、手入れや保管にも気を使います。発送の手間も考えて、業者さんにまとめて引き取ってもらいました。
が、小さい宝石や時計などはわたしがちまちまとメルカリやカウルで売っています。
しかし、宝石や時計に関しては門外漢、かつ、真偽のほどが不明(多分、百貨店で購入しているはずなので本物だと思われ)ですのでなかなか四苦八苦しています。鑑定書が残っていないものは近所で鑑定してもらったりと手間もかかりますね・・・
こちとら、宝石や時計にはほとんど興味がないので・・・毎回、首をひねりながら出品しています。石の種類も分からない・・・(^^;
で、思うのは「財産として持つならブランドバッグよりは宝石だわ」ということ。金(きん)でも買おうかしら・・・?もっといいのはお金だけれどね。

残したもの
新聞と雑誌以外の紙の書類は基本的にすべて残しました。
ダイレクトメールや請求書、契約書、昔の思い出系の紙類はさすがにはわたしたちが判断すべできはない、とドッサリと残しておきました。
多分、ほとんどが不要なモノだと思いますが、後々、大叔母の息子に何を言われるか分かったものではありませんしね。彼は「すべてを任せた!文句は一切言わないー」と言っていますが、こっちも紙の書類をちまちまと分別するのも面倒くさい・・・
また、仏壇は息子夫婦の家へ行きます。

両親の目が覚めた遺品整理
わたし達に遺品整理を押し付けた大叔母の息子は「欲しいものがあるなら、母の思い出にもらってやってください」と調子のいいことを告げてきました。
が、わたしと両親はすべてを処分する or お金に換えることにしました。
ここで大叔母のモノを持ち帰ったら数年後、両親亡き後、またわたしが遺品整理をすることになる!(←酷い・・・汗)と告げると「確かに・・・」と神妙な顔をした我が両親。
大叔母の遺品整理をしながら、母がポツリと。
「お母さんも着物、いっぱい持っているねん・・・お母さんもなんとかせなあかんな」「おじいちゃんの収集品が蔵に眠っているわ」「うちも来客用の布団がいっぱいあるねん・・・」「家にも捨てたいと思うものがいっぱいあんねん」
と。
ともあれ、田舎の古い家はやたらと広く、やたらとモノを置く場所があります。わたしの実家もそう。
そして、積み重ねた歴史が山のようにモノとなって残っています。
それらの整理をしておく必要がある、と認識を強くしたよう。・・・助かります。お金になりそうなものはメルカリでじゃんじゃん売るよー!
暮らしはコンパクトに限る
今回の大叔母の遺品整理に向き合い、両親はもとより、わたしが感じ入りました。
両親はわたしや孫などがいるので、遺品整理はどうにかなるでしょうが、子どものいない我が家はそうではありません。
無駄に遺品なんか残さないに限る、と心を強くしました。
思い入れのあるものを所有しない。いつでも処分できるものしか持たない。購入したものはキチンと使う。新陳代謝を意識する。大物は持たない。特定のモノを収集しない。モノや場所に執着しない。潔く捨てることを意識する。いつでも「さようなら」という勇気を持つ。
そう、暮らしは身軽に限る、コンパクトに限る、と強く強く思いました。
さて、掃除もあと少し。2月中には片付けたいものです。
