ハリソン・フォードが大忙し。
ジョーンズ博士になって5作目を制作するし、SF映画の金字塔 & カルト的人気作の『ブレードランナー』の続編も制作すると。
そのニュースを知ると『ブレードランナー』がむやみに観たくてたまらなくなり。主人と一緒に視聴をしました。
2016年の今、2019年を描いた世界を観るといろいろと突っ込みどころ満載。でも、やっぱり面白い。ブレードランナーはいくつかのバージョンがあるのだけれど、今回はファイナルカット版を視聴。
画面の向こうにはわたしの記憶にある以上に怪しいアジアの世界が広がっていた。画面がむちゃくちゃ綺麗で驚いた。そして、「強力わかもと」を買いたくなった。俳優陣が皆若くてビックリしちゃう。
そして、映画で描かれている2019年の世界がきたる2019年とあまりにも重ならず、感慨深い。
※ネタバレ、あります。
映画『ブレードランナー』(1982年アメリカ)。
- 出演者:ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤング、ダリル・ハンナ
- 監督:リドリー・スコット
- 公開:1982年、アメリカ
今回、観たのはファイナルカット版になります。
原作はフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。
映画と原作は似て非なるもの。設定は概ね同じですが、映画の世界観は監督リドリー・スコットのもの。
映画は妙にアジアチックでごちゃごちゃとした雰囲気。そして、やたらと降っている雨は酸性雨ですって。そう言えば、酸性雨がうるさい時代があったわねーとシミジミ(^^;
そういった演出の仕方はリドリー・スコットが制作した作品『ブラックレイン』や『エイリアン』に通じるものがありますね。
さて、『ブレードランナー』。
SF映画の金字塔として名高い作品。そしてカルト的人気を誇り、そして、公開から36年を経て尚、続編を待ち焦がれる人がいる作品。
〔参考〕映画『ブレードランナー』の続編、北米の劇場公開日が決定
この記事によりますと、2018年1月12日に北米で劇場公開する、とのこと。個人的には非常に微妙な気持ち・・・
レプリカントは「感情」を持つのか。
『ブレードランナー』のおおまかなあらすじとしては・・・
ハリソン・フォード演じる元ブレードランナーが、地球に潜入した「最新レプリカント(ネクサス6型)」、つまり、遺伝子工学により開発された4体の人造人間を追いかけるというもの。
『ブレードランナー』に登場するレプリカントはいずれも見た目は人間そのものであり、中には自らがレプリカントであることを知らないものも。人間だと思っていた自分が「レプリカント」であると突き付けられた瞬間、「レプリカント」であるがゆえにその「命」を落とす可能性も。何の罪もない、ただレプリカントであるがゆえに命を切り捨てられるのだ。
レプリカントは「過去の記憶」も「子供時代の写真」も保有しており、それらを非常に大切にしている。自らの存在の証であるかのように。
『ブレードランナー』に登場するレプリカントはロボットとして超人的な力を発揮するのではなく、強く脆く、そして知性ある存在として登場してきます。そして、彼ら、彼女は「感情」も備えており・・・「生きたい、自らの寿命を知りたい、もっと生きたい」と切なく渇望を。
だが、人間は一方的にレプリカントの寿命を決め、レプリカントに「延命の方法はない。もう十分に輝かしい時を生きたじゃないか」とうんたらかんたら言って、レプリカントの希望を打ち砕くことに。
ハリソン・フォード演じるデッカードはそんな「経験」と「感情」を持ち、人間社会に反乱を起こすレプリカントを「処刑」する存在 = ブレードランナーとして登場してきます。これが映画のタイトルですね。
彼は逃亡した4体のレプリカントを追い詰めていく一方で、レプリカントの開発者の秘書として登場する「美女」レイチェルと心を通わせていくが・・・彼女もまたレプリカント。
が、自らの存在に迷い、揺れながら、デッカードと心を通わせ、体を通わせ、より「感情」を手に入れ、成長していく彼女。この美女を若き日のショーン・ヤングが演じております。その後、何かとお騒がせ女優になってしまいましたが、この頃の彼女は一種の謎めいた、狂気めいた美女という佇まいがピッタリでした。
そんな彼女が髪を卸した瞬間が実に暗示的でした。
いつもきっちりと結い上げていた髪を解放し、ゆるやかに肩に髪を垂らす。何かから解放されるかのように。彼女の心の内にあるのは・・・デッカード。レプリカントが「恋」を意識した瞬間。「男」を意識した瞬間。
レプリカントは感情を持つのか。
議論を呼ぶ、謎めいた最後。
デッカードはレプリカントを追い詰め、とうとう最後の「一人」に。
反乱者のリーダーであるロイ・バッティ(ルトガー・ハウアー)との対決シーン、そして、ロイの死。謎の白い鳩。そして、警察官ガフの言葉、ユニコーンの折り紙、レイチェルとの逃亡。
結局、レプリカントであるロイは何を言いたかったのか?
ガフの言葉が意味することは?
デッカードは6体目のレプリカントだったのか?
いろいろと諸説ありますね。
個人的にデッカードはレプリカントではなく、人間だったと思っています。が、今回観たファイナルカット版はますます「デッカード=レプリカント説」を補強してきている印象を抱きました。
わたしが初めて『ブレードランナー』を観たのは10代の頃でした。
10代のロマンティックな夢見る乙女にとって、人類とレプリカントの恋はなんだか激しくロマンティックなものでした(^^;
その記憶がわたしの中に強くあります。
レプリカント同士の同類相哀れむ型の恋愛ではなく、人類とレプリカントの「種(?)」を超えた愛の形であってほしい、と。一種のロミオとジュリエット的な。敵同士なんだけれど、社会的に許されない恋だと分かっているけれど、止められない思い、みたいな。
そして、わたしの中ではデッカード=人類=観客の眼差しとして受け止めている部分がありますね。その彼がレプリカントだとしたら・・・かなり混乱するかもしれないです(汗)。
結局のところ、わたしにとって『ブレードランナー』は生命のありかた、とかSF映画の金字塔、というよりもデッカードとレイチェルの恋バナになってしまっているのかもしれませんが。
だってあのラブシーン、ステキなんだもーん!
『ブレードランナー』っていたら、あのシーンばっかり思い浮かぶんだもーん!
それにしても『ブレードランナー』で描かれている2019年とは!
2019年を3年後に控えた2016年の今、観ると非常に斬新でした。
降りしきる酸性雨、お約束の空を飛ぶ車、音声認識の機器類、やたらとアジアちっくな世紀末的な暗さ。そして、2019年の最先端機器にブラウン管が使われていたりして「おー」と懐かしくもほのぼの、と。何故、ブラウン管?とな。
そして、やたらと宣伝されている「強力 わかもと」を買いたくなりました。笑。
『ブレードランナー』が作られたのは1982年。「ジャパンアズナンバーワン」の時代ですね。その影響を画面のそこらかしこに感じました。
この頃の日本は日の沈まない太陽のように思われていたんだなーと妙にシミジミと。
『ブレードランナー』続編は。
冒頭にも書きましたが、2018年1月12日に北米で劇場公開される、とのこと。となると、日本ではGW~夏頃公開になるのでしょうか?
いろいろと気になることがありますが・・・
- ハリソン・フォード出演 → する
- ライアン・ゴズリングも出演する。こっちが主役か?デッカードの息子的な?
- デッカードはレプリカント? → 判明
- 物語の舞台は何年? → 2019年 + ???
監督はリドリー・スコットではなく、ドゥニ・ヴィルヌーヴとのこと。
すまん、ドゥニ・ヴィルヌーヴの作品は観たことがないので何とも言えないのですが・・・まぁ、微妙な気持ち。
監督は前作でいろいろと疑問や謎として議論されているところに取り組んでいくようですが・・・謎は謎のまま、観た人に寄っていくつもの解釈があるからいいのか?と思ったりもなかったりも。
〔参考〕「ブレードランナー」続編で、「あの謎」は明かされるか
撮影はこの夏から始まる予定。
実際に撮影に入ったら、もう少し情報も流れてくるのでしょうか?
個人的には「お騒がせ女優、ショーン・ヤングが現在どうなっているのか観たい!」気がしますがー出演しないでしょうね。
おまけ。
『ブレードランナー』を観たことがないと意味が分からないかもしれないですが(^^;
60秒で分かる名作映画、というのがウリのようですよ。