先日、久しぶりにベトナム映画『 青いパパイヤの香り 』を視聴しました。
もう何度観たことでしょうか?
初めて観た時から20年近く経ちますが、今なおこの映画を観るとわたしの胸はキュンキュンとするんですよ、ええ、アラフォーになった今でも胸キュンキュンします。
話の流れとしては一種のシンデレラストーリーなのかな?
ベトナムの商家にて可愛い使用人の少女が初恋を実らせて、結婚をする、と。
美しい映画。
瑞々しい映画。
そして、比類なき透明な官能性を漂わせた映画。
映画『青いパパイヤの香り』トラン・アン・ユン 1993年制作
『青いパパイヤの香り』とは1993年の映画。舞台はベトナムですが、オールフランスロケになります。
ドキュメンタリー出身のベトナム系フランス人、トラン・アン・ユンの初めて劇映画。サイゴンのある資産家の家に、10歳の少女ムイが奉公人として雇われて 来た。その家には優しい女主人と根無し草の旦那、三人の息子たち、そして孫娘を失って以来二階にこもりっきりのお婆さんがいた。ムイは先輩女中に教えら れ、一家の雑事を懸命にこなしていく。そして彼女は、ある日長男が連れてきた友人クェンに恋心を抱く……。
『青いパパイヤの香り』の影響を受けてベトナムへ飛んだわたし
映画『青いパパイヤの香り』を初めて観たのはいつだったでしょうか。記憶は曖昧。そう、記憶は曖昧だけれど、まだ若い頃だったように思います。学生時代。
でも、本当にこの映画の良さに気付き、惹かれたのは社会人になってから。社会人2年目、仕事に慣れてきて、働く上での理不尽なことにも頷くことを覚え、コーヒーの苦みを美味しく感じるようになり、「あ、わたし働いている」と実感が出た頃にもう一度観ました。
そして、恋に落ちました。その圧倒的なヒーリング感にコロリといきました。その衝動のままにわたしはベトナムへ。若さゆえの情熱といおうか、「とにかくベトナムへ行かなければ!」と思いました。
当時のベトナムは活気にあふれた国でした。戦争が終わって20年ほどたったころで復興と成長を信じてやまない空気を感じました。
道路のいたるところに自転車が走り、横断するのも大変。屋台がそこらかしこにあり、フランスパンやフォーが売られていたことを置く覚えています。
そしてこの時に、ベトナムの伝統衣装であるアオザイをオーダーメイドで仕立てました。でも、結局、帰国後は一度も着ないでクローゼットに眠っておりますが。現在は体型も変わってしまい、もう着れないと思うのですが、記憶と共にクローゼットに大切に眠っております。
あの後、いろいろな国へ旅行したけれど、再訪した国はベトナムだけ。そうもう1度、20代の終わりに仕事から逃れるようにして訪問しました。その時にエネルギーを貰ったのもいい思い出。
もちろん、いい思い出ばかりではなりません。
ほろ苦い思い出もあるけれど(ぼったくりとか・・・ぼったくりとか・・・あと、スリ)、いい思い出の方が圧倒的に多い国。帰国後、フォーを食べるたびにベトナムを思い出します。
そう、映画『青いパパイヤの香り』はわたしがベトナムへ行くきっかけを作ってくれた映画。
『青いパパイヤの香り』における少女ムイの眼差しが告げるもの
『青いパパイヤの香り』はざっくりと分けると前半と後半に分かれています。
少女ムイが奉公先にて、女主人やおばあさん、その家に住む坊ちゃんとのほのぼの(?)交流をしている様子。
実際はその家にも暗い面があるのですが(娘の死、旦那放浪癖、一家困窮など)、少女ムイはどこまでも純真で清らかに青いパパイヤを剥いています。家の掃除をしています。主に三男の坊ちゃんと遊んでいます(?)
そして、いきなり10年の時が流れる後半。
大人の女性になったムイは奉公先の一家と離れて別の主人のもとへ奉公に出ることに。
そして、ピアニストのご主人と大人になったムイの間にひそかに心が通じ合っていく。ピアノにストの恋人の嫉妬を乗り越え、結ばれるムイとピアニストのご主人。そして、最後、微笑むムイ。
前半と後半はガラリと舞台が変わり、その唐突さに戸惑いますが、個人的にはそれもありかなぁ、と思います。とはいえ、この映画の魅力は前半部分に集中していると思います。
子どもの好奇心というフィルターを実にうまく表現している前半は本当にたうたうようで、いかにもドキュメンタリー出身の監督らしいカメラワークの使い方。少女ムイの清らかさを際立たせ、そして、クスリとなんだか笑えてしまいます。
それが大人になると薄れてしまうのが残念。
でも、大人時代はガッツリとラブストーリー、それもシンデレラストーリーなので別のときめきもあります。
どこまでも透明な官能性が漂う『青いパパイヤの香り』
それにしてもなんという官能性。それも透明な官能性。
『青いパパイヤの香り』は非常にドキドキさせられる映画ですな。
キスシーンもそのものズバリのシーンもない、視線をかわすこともほとんどない、それなのになんという官能性!
映画に登場するパパイヤはエロスの象徴と指摘する人が多いですが、確かにそうでしょうね。硬いパパイヤを二つに割るムイ。中からは整然と並んだ白い種が姿を現します。そっと種に触れるムイ・・・
ゾクゾクとします。
映像の力による隠喩。
そういう意味では非常に技巧的な映画なのかもしれません。そこらかしこに紗がかかったような隠喩が散りばめられており、それを想像するのもまた楽しいですね。
そして、物語の終わりはハッピーエンドなんですが、物語が終わった後に恐らくベトナム戦争(1955年~1975年)がムイとご主人に襲い掛かるのだろうと思います。
個人的にはムイがピアニストのご主人と亡命できていたらいいなぁ、と祈りましたが、実際のところどうなのでしょうか。。。考えさせられます。
そう、『青いパパイヤの香り』は様々な余韻を残す映画。
セリフが少なく、ただただ映像の美しさと流れるような画面の切り替えとそしてとびっきりの官能性を味わうための映画。
オススメです。