写真に関して、この春にこんな記事を書きました。
〔参考〕もう写真は撮らない、今、目の前にある時間を楽しむために。
そして、その後、レストランやカフェでの写真撮影は一切していません。それと同時に外出の際に写真を撮るのもやめました。
写真を撮るのをやめると、いろいろと気づくことがありますね。
それと同時に「今まで、わたしは何のために写真を撮っていたのだろうか?」と切ない気持ちに襲われてしまいました。
ブログ記事として掲載するため?SNSに投稿して、リア充自慢のため?それとも、ただ習慣のため?周りが撮っているから?撮った写真データはどうするの?
そう思い始めるともうダメですね。
わたしは「外出したから」という理由だけで撮影した写真はもういらない。
わたしにとって「特別な瞬間以外は撮らない」と決めるとスッキリと。
そもそもわたしは、撮影した写真を振り返らない
先日、クローゼットの大掃除 をしていると、懐かしい結婚式の写真が出てきました。
それらを懐かしく眺めた後、ふと思いだし、デジタルフォトフレームに結婚式と新婚旅行のデータを挿し込み、スライド式で主人と二人眺めました。ものすごく久しぶりだと思います。何年振りとかいうお話に。
そう、人生の一大イベントの結婚式の写真でもこの体たらく。他の写真になるとお話になりません。
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そう、わたしはそもそも過去に撮影したデータを眺めることはまずありません。
世の中にはマメな女性がいて、キチンとデータを編集したり、整理したりしている人も多いのだろうと思いますが、わたしはやりません。撮影→データいっぱい→保存→永久に眠る、というパターンしか辿っていません。
ひょっとすると30年後、40年後に懐かしく思いだすのかもしれないけれど、そのためのデータはもう十分持っています。デジタルカメラを手に入れて10年以上、毎年、大量の写真を撮影していたわ、と。
つくづくデジタルカメラは罪。
写真を撮らない人の存在
わたしの主人は写真を撮りません。
よほどのことがない限り、カメラのシャッターを切りませんし、撮ってもデータは割とすぐに破棄しています。付き合い始めた当初からそうで、我が家の専属カメラマンは常にわたしでした。
わたしの友人も一人、写真を撮らない子が。彼女の場合、理由ははっきりとしていました。「写真を見ることはないから」と。二人で出かけてもわたしが一人で写真を撮影していました。彼女は我が子の写真も少ない様子。「写真の数が親の愛情の証ってわけじゃあるまいし」と割り切っている様子。
この二人の姿勢に以前から憧れてはいたものの、「せっかくお出掛けしたのに!こんなに特別な瞬間を写真に撮らないなんて!」と思うわたしがどうしても心のどこかにいました。
写真を撮らないと損した気分になるというか、出かけたという証拠が残らない・・・そもそも、何故証拠が必要なのかも分からないけれど・・・そう、誰に何を証明するつもりだったのか分からないけれど、「せっかくお出かけをしたんだから写真は撮らないといけない!」と。
そんな心の縛りが少しずつ今解けはじめています。
写真を撮らなくても何も変わらなかった
出かけた記憶は記憶として頭の中にあります。
ただ、それだけのこと。
後で「ああ、あの写真撮ればよかった!」と思ったことは一度もありません。むしろ、写真を撮らないことで目の前の景色、出来事がより鮮明に脳裏に刻まれるようになりました。
そう、わたしの記憶媒体はSDカードじゃない、クラウドじゃない、わたしの頭の中なのだ、と。
意外と頭って優秀だなーと思う日々を過ごしております。これから、わたしの頭は錆びていくばっかりなので、こうやって脳に刺激を与えることも必要ですね!
そして、出かけた写真が見たければ、今はネット検索で何でも手に入りますね!
GoogleMapも素晴らしい。わたしのへっぽこ写真よりもよっぽど鮮明で美しい画像が手に入ります。そして地図をなぞる様にしてあの瞬間を思いだすことが可能。
GoogleMap https://www.google.co.jp/maps/
そして、撮る時は撮る
特別な瞬間に数枚。
それで十分。わたしは少数精鋭でいきます。
課題としては・・・わたしのへっぽこ腕でその少数精鋭が実現するのかどうか限りなく難しいですが、その一瞬を切り取るという感覚をデジタルカメラの前では忘れてしまっていました。
そういう意味で次に買うカメラはフィルムカメラもいいかもしれないなぁ、と思い始め中。一瞬を切り取る緊張感をもう一度思いだしたいもの。
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そして、ブログに掲載する写真はデジタル撮影をします。でも、それは思い出を切り取るものではないからいいかなぁ、と自分にゆるく、甘く。
そして、もう「わたしの大切な思い出」はデータとして残さない。わたしの頭の中に記憶として残していく。
薄れていき、ぼやけていく記憶の中に。
好きなように、美しくカスタマイズしていく記憶の中に思い出を残していきます。
わたしの思い出はわたしのものだから・・・!