2017年1月30日、医者からあっさりと告げられた「余命3か月」という言葉。
父が小細胞肺癌と宣告を受け、母と二人、大学病院へ転院の話を聞きに行った時の話でした。
表情のない、医者のツルリとした顔をいまだに覚えています。医者は極めて淡々と告げました。心の準備も何もありません。
転院の相談だけしか考えていなかったわたしたちに、余命宣告は衝撃的でした。
「1年はもちません。3~4ヶ月、もって半年。」
「手術はできません。不可能です。抗がん剤と放射線治療です。」
医者の言葉は刃となってズタズタとわたしの心に突き刺さってきました。
それは恐ろしい言葉でした。余命3か月か4か月、もって半年。
くしくも母とわたしは同じ日が誕生日です。4月のはじめ。父は母とわたしの誕生日を迎えられるのだろうか、と目の前が真っ白になりました。このことは本当に強く思いました。
そうか、父は死ぬのか、と実感しました。強く実感しました。
参考余命宣告はあっさりと唐突に告げられる。そして、それから3か月後と8カ月後、まだ生きています。
あれから2年弱、父は今も生きています
ほどなくして、大学病院へ転移し、せん妄の症状が落ち着いた父に癌である事実が告知され、癌の治療が行われました。
参考せん妄の症状と期間、その時、家族にできること、できなかったこと。
父はともかく、わたし達家族は抗がん剤治療にあまり希望を持っていませんでした。
余命3か月だもん・・・もって6か月だもん・・・治療をしてもどこまで回復するか分からないとか医者が言っているし・・・もう助からないんだよね・・・
とすっかり悲劇のヒロインシンドロームでした。
皆、慌てて遺産の整理に走り出す始末でした(^^;
お父さんが生きている間にこれとこれはなんとかしとかないとー!!!相続税がー!!!と弟がテンパり(田舎なので土地だけあるんです・・・)、つられて二人の姉もテンパり、時間の融通が利くわたしが弟に代わり、役場と不動産会社と弁護士事務所を往復したものです・・・遠い目。
相続税、こえー!と一人叫んでおりました、とさ。今だからこそ話せる笑い話です。
さて、その間、父は闘病生活に耐えました。
小細胞肺癌とは・・・
比較的小さな細胞が密集して広がっていることから、小細胞がんと呼ばれます。肺の入り口近く(肺門部)に発生することが多く、痰の中にがん細胞がみられることがあります。ほとんどが喫煙者です。
増殖が速く、転移しやすいのですが、薬物療法や放射線療法に対する効果が高いのが特徴です。出典:https://ganclass.jp/kind/lung/type/type02.php
父も煙草を吸っていました。
あの年代の人は皆吸っていたのではないでしょうか。奇しくも父が禁煙したのはわたしの義妹が乳癌になった時でした。
現在の父は・・・孫のおもりと家事と畑に忙しい日々
わたしの母と同居している弟の嫁が働いており、また、弟も激務でほとんど家にいません。
必然的に家にいるのは父と孫のみ。
癌の通院中も孫の世話をし、食器を洗い、洗濯物の取り入れをさせられ・・・いえ、できる範囲でやっていた様子。
そして、現在は定期健診に通うことはあっても、いたって元気になった父は(体重も戻った・・・!)家事の最前線にたっているようで・・・ことあるごとに愚痴をこぼされています・・・(;´д`)トホホ
ま、同居しているといろいろとありますね・・・でも、それが日常に戻ったようでニマニマしてしまいますね(笑)
ともあれ、父はとても元気です!
ビックリするぐらいに元気です。
弟と妹、そして姉のわたしの3人で苦笑いを浮かべるほど元気です。
そして、思ったのです。
わたしはある日、いきなり余命宣告をされても後悔しない生き方をしたい、と。
ある日、いきなり余命宣告をされても後悔しない生き方をする
父の余命宣告はいろいろと考えさせられました。
遺産の整理はもちろんですが、それとは別に自分の生き方を見直す一つのきっかけになりました。
子どものいないわが夫婦たちの老後のことを考えるきっかけになりました。
それと同時にわたしはある日、いきなり余命宣告をされても後悔しない生き方をする、と強く思いました。毎日を全力で思いっきり生きようと。
当時は本当に強く思いました。馬の背に鞭を打ち、駆け抜けるような勢いでし毎日を過ごしました。
しかし、年月の流れとともにその意識を忘れてしまっていたわたしがいました。久しぶりに弟と父の闘病話をし、そのことを思い出し愕然としました。
あの時の決意はどこへ行ったのだろう?今のわたしの堕落した、自分に甘い生活は何だろう?
そして、「2019年の目標はこれにしよう」と。
ここ数年は何かにつけてへばり気味のわたしがいますが、44歳になる今年はもうひと踏ん張りしようーいつだって今が一番若いんだから。
ここで頑張らないでどこで頑張るんだ?という話ですね(^^;
宣言、わたしは医者の余命宣告を信じないことにする
今でも思うのですが、医者のあの時の余命宣告は何だったのでしょうか?
母と二人、余命3か月ばかりがクローズアップされてしまい、重要なことを聞き忘れていたのでしょうか。二人が二人とも。
いえ、間違いなく医者は「1年はもちません。3~4ヶ月、もって半年。」と言いました。
そして、わたしたち家族はそれに律義に翻弄されました。
「ああ、父は死ぬんだ・・・どうしよう・・・」とパニックになり、混乱し、取り乱しました。父は3か月以内に死ぬかもしれないのだ、と衝撃を受けたものです。
そもそも、余命3か月とはどういう意味なのか?
が、そもそも余命3か月とは・・・
『余命3か月』と言われたら、『半数の患者は3か月以内に亡くなり、もう残り半数は3か月以上生きる』という意味です。
出典:https://www.news-postseven.com/archives/20171218_636277.html
とのこと。
また、余命の期間が短くなればなるほど確立が高くなります。
例えば余命3週間以内は確立が85%に跳ね上がりますが、逆に余命期間が月、年単位になると確率はもっと下がってくるそうです。なので、余命1年とか余命3年とかになるともはや神のみぞ知る世界になるのかもしれません。
勉強になりました。
今後は自分はもちろん、家族や知人の誰が余命宣告を受けても「父だって余命3か月とか言われたけれど、生きているよー!」と自分で自分に言い聞かせて乗り越えていきます。
そして、父の闘病生活を通して医者の言う余命宣告の意味を知りえてよかったな、と今は思っています。
参考がん「余命宣告」でトラブル 医師の見積もる「余命」は、当てにならない?
つくづく生きるということは死ぬということなのです。
ああ、今一度、仏教の教えに触れたくなりました。
つくづく40を超えると死の足音を感じ取るものです。ひたひた、と。
そして、死ぬために人は生きるのだ、と。