ザワザワ・・・わたしの感情を複雑に乱す相手はいつだって女だった。
子どもの頃は幼馴染の新品の自転車や綺麗な女らしい洋服。そして、レースのハンカチやキャラクター製品の消しゴム、可愛いビーズの髪飾りなどを見るにつけ心が乱された。
どうして、わたしはそれを持っていないのだろう、どうして、わたしの手元にはないのだろう。
中学生になったころには美醜の差における嫉妬がよりあからさまになってきた。どうして、わたしはくせ毛なのだろう、どうして、わたしにはニキビがあるのだろう。どうして、あの彼女たちの髪の毛はあんなにサラサラでお肌もピカピカなんだろう、どうして、どうして。
そして、それは高校生になっても大学生になっても続いたものです。
どうして、あの彼女は持っているのに。恵まれているのに。笑っているのに。
どうして、わたしは。
とはいえ、学生時代の心のざわめきは今思えばたいしたことがなかった。わたしの感情を大きく揺さぶった相手はいずれも社会人になってから出会った人だったように思う。
今でも忘れられないのは二人。
ああ、なぜ、あの“女"たちはわたしの感情を乱したのだろうか?
敵の味方は敵
一人目とは徹底してソリがあわなかった、あわない、という言葉で片付けた。
今、思えばわたしは社会人になったばかり。
20代の前半で大人らしい身の処し方を知らなかった。相手は50代の女性で今、思えば化粧が濃く、派手なアクセサリーを身にまとい、相当に「女」度の高いおばさんだった。感情のままに気に入らない相手がいるとあからさまにその相手に関する愚痴や嫌みを本人に対してこぼす女であった。
現在のわたしなら適度にかわすことができたかもしれないが、当時のわたしはかわすこと、おばさんに対する「女」度を下げることができなかった。真正面からぶつかり、最後には 一言もかわさない仲になり、せいせいした、と思ったものである。断言する、わたしは彼女が嫌いだったし、向こうもわたしを嫌っていたであろう。
おばさんにとって、わたしは「敵の味方」であった。
わたしは課長(女性)の秘蔵っ子であり、課長とおばさんはソリが合わなかった。そして、理想の上司として課長に好意を抱いていたわたしは課長に敵対するおばさんにいい感情を抱けなかった。
そこにあかららさまに「女」の衝突があったのだろう、と思う。姿を見ただけで舌打ちをした相手でもある。汗。課長は大人だけあって華麗に無視をすることで何の反応もしなかったけれど、笑。
ああ、今、思い出してもあのババァ、むかつくぜ。
あからさまな女
二人目とは表面上、仲良くしていたが、内心、「付き合いは無理ー!」とわめいていた。
彼女とは仕事の絡みが密接にあり、頑張って笑顔で付き合っていた。でも、それはお互い様だったのだろう。
彼女はいわゆるセクシーな形での「女」の香りがぷんぷんと漂う子。
あからさまの洋服にメイク、男と女の前での態度の違い、アピール度の高さ。初対面で あらゆる意味で苦手なタイプだと思った。それに加えて、キーボードのたたき方や机の引出しの締め方、ありとあらゆる場面でキャラクターグッズを使用するなどイチイチ勘に触ることが多かった。
彼女の存在がそこにあるだけでわたしの感情を大いに乱した。でも、仕事の上では仲良くする必要があった。
そこで・・・わたしと彼女は互いを褒めあった。
「あ、そのネイル、ステキじゃん!」
「あ、今日のファッション、可愛い!そのコート、どこのブランドの?」
「そのアイデアいいね~参考にさせてよ~」
などとひたすら褒めあった。
そうやって表面上は手を結び、互いに陰ではナイフを突き刺しあっていたと思う。まぁ、言ってみれば、現在の中国とロシアの関係みたいなおっかない関係だった。
でも、この彼女のことは今思い出してもむかつくことはない。まぁ、なんとか互いにあの時を乗り越えたよね、という戦友的な感覚があったりする。多分、互いに感情を背中に隠し、表面上は大人として向き合っていたからであろう。年賀状もやり取りをしていたし笑。おばさんとはしなかったけれど汗。
派遣社員になると
この二人の女性と向き合ったのはいずれも正社員時代のお話。
正社員になると勤続年数が長くなり、どうしても付き合いが密になり、衝突も激しくなるんでしょうね・・・彼女たちとのバトルはわたしの精神を疲弊させ、同時にわたしの気を強くしてくれたような気がしますーそういう意味では感謝なのかなぁー
いや、もう今はまったく付き合いたくないけれど(笑)。
正社員として2社で働いた後、わたしは派遣社員になりました。すると、わたしの感情を乱す女の割合はぐっと減りましたねー付き合い浅くなったからか、わたしが大人になったからなのか。
原因は定かではありませんが、ちょこっとだけスルーする技術を身に着けたような気がします!
相手の「女」をスルーし、自分の中の「女」度を下げる
『 女子の人間関係 』によりますと・・・
以下、太字の部分を実践すると、「女」度=女の嫌な部分を下げることができ、人間関係にある種のクールさが芽生えてくるそう。言うは易く行うは難し、の典型ですね・・・
・「女の敵は女」とよく言われるように、自分よりも恵まれた女性に嫉妬し、その足を引っ張ろうとしたり、幸せを奪い取ろうとしたりする。 → 他の女性のことは気にしない。他の女性が優れていようと恵まれていようと、「人それぞれ」とただ考える。基本的には温かく、他人に協力できる場合には協力する。
・裏表がある。表ではよい顔をしていても裏では陰湿。「それ、かわいいね」などと本人には言いつつ、裏では「ださいよね」などと言ったりする。 → 裏表がない。
・男性の前で「かわいい女」「頼りない女」を演じる。 → 男性の前だろうと女性の前だろうと自然体で振る舞う。演じることはしない。
・ほかの女性を差し置いて、自分だけが好かれようとする。 → 自分がしたいことをする、「どうすれば人から好かれるか」にはあまり関心がない。
・恋人ができると返信する。すべてが恋人優先になり、他の女友達には「無礼」としか思えない態度をとるようになる。 → 女友達は女友達でそれまで通り大切に扱う。あるいは、恋人も、自分の友人関係の中にうまく位置づけて、恋人と友人が交互に交流できるようにする。
・すぐに群れたがる。「群れ」の中では均質を求め、異質を排除しようとする。 → 一人でいることに問題を感じない。複数でいるときも排他的な態度をとらない。
・自分は自分、他人は他人、という見方をすることが苦手。自分とは違う意見やライフスタイルを持つ相手を尊重できず、「自分が否定された」とみなし、そういう人を「敵」ととらえる。 → 多様な意見やライフスタイルを尊重できる。
・感情的に「敵」「味方」を決め、自分をちやほやしてくれる人には限りなく尽くす一方、自分の「敵」に対しては、とことん感情的に攻撃する。その感情的攻撃は、多くの場合「正論」という形をとり、主語は「私は」ではなく、「普通は」「常識的には」など。 → 「敵」「味方」という見方をしない。感情的に動かず、公平で一貫性がある。全体に愛想がよく、人と距離をとるのが上手。
・陰口や噂話、つまり他人についてのネガティブな話が好き。 → 陰口やネガティブな噂話をしない。
・ストレートに話さず、間接的であいまいな話し方をして、「ねえ、わかるでしょ」というような態度をとる。そして分かってもらえないと機嫌を損ねる。 → 人にわかってほしいことがある場合は、「私は」を主語にしてできるだけ直接的な話し方をする。自分が困っていることを話して協力を依頼する。
・「お母さんぶり」「お姉さんぶり」をする。相手のことは自分が一番よくわかっている、という態度で、悪気はなくても、意見の押しつけをしたり、決めつけをしたりする。 → それぞれの領域を尊重する。自分の領域に責任を持つと共に、愛店領域を侵害しない。相手には、自分には分からない事情があるのだろうと見ることができる。
まずは比較しない、自分は自分を貫くこと
わたしは相当に「自分は自分」を貫くほうだと思っていましたが、振り返れば、それは意地であり、やせ我慢に近いところがあったように思います。
そうではなく、心の底からの「自分は自分」を貫き、相手の領域と自分の領域を重ねないようにし、客観的でフラットで俯瞰的に物事を見れるようにしたいです。
そして、そうやっていく中、比較しない、選ばれる・選ばれないの争いに入らない、そんな女性になりたいな、と思いました。
『女子の人間関係』はかなり理想論の内容が書かれてあり、実践は難しいかもしれません。
が、自分の心の中に渦巻いていたドロドロとした醜い嫉妬や比較、怒りなどの感情に向き合うきっかけになったことは間違いありません。ちょっと己を情けなく、恥ずかしく思いました。
『女子の人間関係』を定期的に読み返したいと思います。