最近、ここ10年ほどの手帳を眺めました。
そして、つくづく思ったのです。
わたしの手帳には失敗と挫折、後悔の歴史しかない、と。
どのページを開いても、開いても、日々の反省と愚痴、そして、失敗と挫折、後悔の恨み言が記されています。
懲りもせずに、毎日、毎日、失敗し、挫折し、反省し、「明日こそ・・・(何かミラクルや嬉しいことが起こるらしい)」と綴っています。そして、その翌日も「明日こそ・・・(何かミラクルや嬉しいことが起こるかもしれない)」と綴っています。
失敗と挫折、反省、そして、明日こそ、明日こそ。
そして、わたしにミラクルや嬉しいことががきた「明日」はあったのでしょうか?
・・・うん、毎日がミラクルと嬉しいことに囲まれた日だったよ!とは言いません。口が裂けても言えません。
でも、ちょっとしたミラクルや嬉しいことが「ゼロ」だったはずはありません。わたしのささやかな毎日にも少なからず、ミラクルや嬉しいことがあったはずなんです。
なのに、わたしの過去の手帳からはそれが見えてこない・・・!
わたしの手帳は、どのページを開いても失敗と挫折、後悔しか綴っていない不幸の塊。
手帳に何を書くか、書かないか → 自分を悲劇のヒロインに追い込む
手帳に何を書くか、書かないか、は人によって異なるでしょう。
過去のわたしはもっぱら以下のことを書いていました。
- スケジュール管理
- 1日の振り返り
スケジュール管理はいいでしょう。
問題は1日の振り返り。わたしは割と日記に近い感じで使っています。
わたしの場合、この振り返りがひたすら、失敗と挫折、後悔しかないのです。それはもう見事に。ひたすら反省を繰り返しています。
たまに、たまーにわたしの手帳にもハッピーな良きことも書かれているのですが、なんていうか不幸事と熱量が違うのです。
そう、ドロドロとした恨み言や愚痴を書いているときの文字の筆圧や文字量に比べると幸せオーラ満載のことを書いているときの筆圧や文字量の薄っぺらいこと。
そもそも、手帳のページを占めている量が圧倒的に違いますね・・・
ああ、ドロドロ系の文字は何故あんなに激しく情熱的に燃えて書けるのでしょうか。ひたすら落ち込んで反省して、ぐちぐちとうじうじと書いているときのわたしはなぜ生き生きとしているのでしょうか?
自分で指摘するのもなんですが、手帳を見ていると「あ、この女、不幸な状態にいるのが好きなのね」という香りが漂っており、ひとりで勝手に「悲劇のヒロイン」を気取っている香りがプンプンとします。
自分で振り返っても恥ずかしい・・・何、このポエム・・・
思えば、わたしは愚痴話が好きだ、不幸話が好きだ
わたしは昔から不幸話が好きでした。愚痴話が好きでした。
子供のころ、読売新聞の「人生案内」に心躍らせ、大学時代はカウンセリングの勉強をして人の不幸話に胸動かされ、就職後は発言小町と2chのウォッチングにドはまりしたものです。
認めます、わたしは他人の幸福な話やウキウキする話、ハッピーオーラ満載な話よりも不幸な話が好きです。
実際に友達と話をするときも「家庭円満でお金に困らなくて、幸せすぎてどうしよう。困っちゃう」という話には「あ、そう」といたって冷たい反応を示します。
が、尽きることのない主人に対する愚痴や経済的につらい、姑との仲がうまくいかない、親の介護が大変、子供が思うように育たない、仕事をやめたい、近所の人との付き合いが大変、体が思うように動かない・・・系の話の方が好きです。好物です。
神妙な顔をして「うんうん、分かるわー」と真剣に相槌をうちながら聞いています。ぐっと身を乗り出して、本当に親身になって聞いております。
ほら、よく言うじゃないですか。
他人の不幸は蜜の味、と。
そして、どうやら、わたしは他人の不幸の密の味だけではなく、自分の不幸の密の味も楽しんでいるのかもしれません。そして、手帳の世界において、我知らず悲劇のヒロインになってしまう、と。
自分が幸せなことすら不幸話に変換させることのできる己の能力の高さに慄かされます。
あな、恐ろしや。
失敗と挫折、後悔の記録は別ノートに移動させることにした
この事実に気づいたきっかけはモーニングページ。
モーニングページとはいわば、起床直後の頭でa5のノート3ページに渡ってペンを走らせること。
これが意外と気持ちがいい、というか快感で地味に続けています。
参考モーニングページで感じた変化、心のドロドロの棚卸し、自分を褒める余裕が出てきた(ような気がする)
で、わたしがモーニングぺージに書くことはやっぱりグチグチウダウダと失敗と挫折、後悔なんですね(^^;
どんだけ、溜めているのか分からないのですが、ひたすら失敗と挫折、後悔の念をモーニングページにぶつけています。ぶつけているというか割と書きなぐっています。
考えるよりもペンが動くがままに任せています。誰に見せるわけではもありません。むしろ、誰にも見せないことを前提にドロドロの感情をぶつけています。いろいろな意味で絶対に誰にも見られてはまずい内容ですね。見られると、周囲との人間関係が崩壊する可能性があります(^^;
ま、ともあれ、これが意外と良かった。
毎朝、毎朝、a5のノートに3ページに渡って書く内容なんかそうそうありません。はじめは流れるように、あふれる失敗と挫折、後悔が出ていたわたしも今となっては少し路線を変えて(?)明るい話題が出てくるようになりました。
結果、その影響が手帳にも流れていきました。
ドロドロとした感情はすべてモーニングページにぶつける、という安堵感が出たのか、手帳には失敗やら挫折やら後悔やらを書かなくなりました。
失敗やら挫折やら後悔やらは明日、モーニングページに書けばいいわ、と。
ブラックノートやブログを作っていた時もあるけれど
過去にはブラックノートやブラックブログを作っていた時もあります。
わたしの場合、そっちの方が執筆もはかどりますし、ノリノリに書けちゃいます。でもね、これを続けていると本当に心がブラックに染まっていくのが分かるんです・・・
いずれにしても考えることはマイナスのことばかり。
となると、思考が本当にマイナスにぐんぐんと傾いてしまい、わたしはドツボにはまりました。結果、次第にこれらのブラックノートやブログに手を伸ばさなくなるんです。伸ばせなくなってしまうんですよね(^^;
なので、ブラックノートではないただの手帳に綴っていたのですが、結果として手帳がいつの間にかブラックノート化していたのでしょう。
反省。
これから、わたしの手帳には失敗と挫折、後悔を書かない
今週から新しい2019年度の手帳を使っています。
この手帳にはもう失敗やら挫折、後悔や愚痴などは書きません。ブラックノート化させません。
淡々とスケジュール管理、そして、心がうきうきとするようなことを書きます。書くことを誓います。
そして、自分の人生にもきらきらすること、うきうきすることが転がっているんだよ、と自分に言い聞かせます。
書きたくなったら、モーニングページ、もしくはそこらへんに転がっている紙に書きなぐり、シュレッダーにかけることを意識していきたいと思います。
そして、手帳にはピュアなわたしが存在していたいものですね(?)
そう、10年後に振り返った時にクスリと笑えるような手帳にしたいものです。
手帳会議『幸せな人がこっそりやっている手帳の書き方』×ジブン手帳×40代主婦、夢や希望を実現するツールとして使う
もう一度、きちんと読み返そう・・・