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40代主婦、補聴器を付けての生活とは?聴力は50~60dB & 障害者手帳は無し

2017年8月31日

女性の耳

わたしが初めて、補聴器を付けたのは幼稚園の頃でした。

母曰く、弟や妹に比べて言葉を発しないわたしを不思議に思ったそう。発達や知能に障害があるのか、と病院を巡った結果、わたしは耳が聞こえていないことが判明したそう。

わたしの聴力は50~60dB。生まれつきの難聴だったのでしょう。

そして、耳掛け式の補聴器を付け、生活をするとわたしは一気に言葉を覚え、話すようになったそう。もう記憶もないけれど。

ただ、補聴器を初めてつけた瞬間のことは今でも覚えている。パッと音が飛び込んできた瞬間のことを今でも覚えている。わたしは驚き、笑ったものだ。

以来、わたしは補聴器と共に生活をしています。

補聴器はわたしの体の一部だし、これがないとわたしは生活ができないわ。

補聴器

わたしのじゃないけれど、ほぼこれと同じ。

ちなみに現在の補聴器はカナル型でメーカーはワイデックス。両耳30万円ぐらいでした。障害者手帳を持っていないので全額自腹で支払っています。

本当、日本は聴力に関する障害の認定が厳しすぎるわ。

50~60dBでも聞こえないのよ・・・!無音の世界なのよ・・・!と叫びたいです。よく、50~60dBを「大きめの声で話してもらえれば会話が成立する」とか書いていますけれど、わたしがよほど相手の声や顔を意識しない限り成立しませんから。そして、無音の世界ですことよ。

とはいえ、わたしの場合、補聴器をすると健常者と思われるレベルです。

補聴器をしていることを告げると逆にビックリされるぐらいですし、電話応対も普通にできます。そう、補聴器をしているからね。

わたしは物心つく前から補聴器をしていた。

幼稚園の時から補聴器をしているわたし。

もう記憶はまったくないのですが、補聴器をつけての生活にパッと馴染んだように思います。その後、小学校に入ってからも特に悩んだ記憶はなく。

周囲の友達も「あ、ワタノさんは補聴器をしている子だ」というぐらいの認識だったのだろう、と思います。

特にいじめられた記憶もからかわれた記憶もなく過ごしました。補聴器をしている限り、わたしは周囲と普通に会話ができました。

ただ、この頃はやたらとうっかりが多くて、わたしはしょっちゅう補聴器を壊していました(^^;

何度も何度も壊して親に怒られたものです。今なら分かるわ、何故怒られたか・・・あの頃は耳掛け式だったから~と言えどもお高いですものね・・・

補聴器、10代の多感な時期から20代半ばにかけて辛かった。

思春期に入ると様相が一変します。

どうして、わたしは補聴器をしているんだろう?どうして、わたしは耳が悪いんだろう?どうして、わたしは難聴なんだろう?どうして、わたしだけ・・・!と悩んだものです。父も母も、そして、妹も弟も健常者なんです。補聴器なんかしていないんです。

そう、わたしだけが補聴器をしているんです。

そして、それはわたしのコンプレックスとなり、わたしの心を激しく蝕みました。

「お母さんに補聴器をしているわたしの気持ちが分からない・・・!」

反抗期もあいまり、健常者の母とよく衝突をしたものです。何かにつけてわたしは補聴器を口実にしたもの。

それが母の心を一番苦しめる言葉だと知っていたから。

あの頃は揺れに揺れました。今振り返ると思春期特有の闇ですね。

表面的にわたしは優等生で問題のない子でした。明るく話し合う友達もいました。でも、わたしの内面は激しく葛藤し、葛藤し続けたものです。

他の人は使っていない補聴器をしている自分を激しく憎んだものです。どうして、わたしだけ・・・!と。

でも、不思議なことに年を重ねるにつれて、その憎しみの度合いが少しずつ減ってきました。補聴器を憎んでいる時間が減ってきた、と申しますか、補聴器の存在がまたわたしの中で普通になってきました。耳掛け式からカナル型になったことも大きかったのかもしれません。

が、高校生になり、補聴器をしたままアルバイトも行い、大学卒業後は普通に出版社へ就職しました。

面接の時に「補聴器をしていますが、障害者手帳を持っていません」ということにも慣れました。

が、折に触れて補聴器はわたしを蝕みました。

補聴器をつけたまま働いて見えたこと、電話応対や大人数の会議の辛さ。

イメージ画像

わたしは1対1から1対3ぐらいまでの会話なら比較的スムーズにこなします。

が、20人クラスの会議になるとたちまち苦労します。指名されても、何故、指名されたのか分からないことが間々ありました。そのたびに近くの人に質問を聞くことを繰り返し、疲労したもの。

また、電話応対も相手によりけりでした。

珍しい社名の聞き取りにくさ、聞き慣れない名前の聞き取りにくさ、意味不明な業界用語、すべてに振り回され、わたしは落ち込んだもの。

わたしに仕事は向いていない・・・できない・・・

補聴器をしているから、とは言い訳にできない。補聴器を、聞こえないことを言い訳にしたいけれど、わたしは障害者手帳を持っていないから・・・

ぱっと見には健常者のように見えるけれど、わたしはやっぱり健常者とは違う。でも、障害者手帳もとれないから障害者でもない。健常者でも障害者でもない、わたしは何者なんだろう?わたしは何故、こんなに中途半端な位置にいるんだろう、と。

わたしは健常者、障害者どちらかにはっきりと所属したかったのだろう、と思います。でも、どちらにも所属している意識がわたしにはありませんでした。

補聴器をしているわたしの悩みをどこで共有したらいいのだろう?わたしはどこで悩みを打ち明けたらいいのだろう?わたしはどうしたらいいのだろう?

そんな時に出会った人々。

耳が聞こえなくなる女性、そして、耳が聞こえない人々。

悶々としていた頃、知人に1人の女性を紹介されました。

「ワタノさんなら、彼女の悩みを理解してあげられるか、と思って・・・」

と紹介された女性は同世代の女性でした。彼女は徐々に聴力を失っていました。昨日より今日、今日より明日、と聴力を失っていく真っただ中に位置していました。

彼女の絶望感あふれる顔を見た時に自分はなんて甘ったれたことを考えていたのだろうと殴られた気分になりました。これから「聴力を失おうとしている彼女」にわたしが何を言えるのだろうか?

冒頭にも書きましたが、わたしの聴力は安定しています。

今後、病気や加齢で聴力を大きく失う可能性はあっても、それは誰の上にも等しくありうる話。

そう、その時点でわたしの聴力は安定していました。補聴器さえつけていれば普通に生活できる程度を維持しています。そして、その後もそれを維持できるでしょう。

わたしは彼女に何も言えませんでした。彼女はわたしに何も言いませんでした。

テーブルに漂う沈黙が重たかったことだけを覚えています。あの時の彼女。「わたしの絶望は誰にも分からない」という顔をしていた彼女。彼女のその後は・・・わたしも知りません。

また、別の方を通じて聴覚障害者の集まりに参加しました。

「ああ、わたしはここにも属していないんだな・・・」と実感を得ました。そもそも、わたしは手話ができないのです。手話を覚えなくても困らないのです。

でも、その場に集まった人は皆、手話ができるような雰囲気でした。飛び交う手の動きに目を白黒させるばかり。そして、手話ができず、筆談しかできない自分がこの場にいることを恥じ入りました。

そして、悟りを開いたような気がします。

わたしはわたし。

どこにも属さなくてもいい、わたしはわたし、と。

わたしと同じ人なんかどこいもいないのだ、と。

そして、現在、たまには音のない世界を楽しむ。

年を重ねるのも悪くないものです。

就職、恋愛、結婚もしました。現在は在宅ワークとパートの仕事を並行して忙しく過ごしています。

日々の中、わたしは補聴器を当たり前のように受け止めていますし、補聴器のことを普通に話せます。

そして、音のない世界を楽しんでいます。

補聴器を外すとわたしはいともたやすく無音の世界に入ります。そして、それがどれだけ贅沢なことか、分かるようになってきました。様々な音に満ち溢れたこの世界でわたしはいともたやすく音を消すことができるのですから・・・!

そして、嫌な音はシャットダウン。

それはわたしだけが得ることのできる贅沢なんだわ、と。

わたしは音を聞く、聞かないを自分でコントロールできることをありがたく思うようになりました。わたしの難聴は補聴器でコントロールできるものであることを。

そう、音のない世界もいいものです。

補聴器を消す、その瞬間をたまに一人でひっそりと堪能しております。

そして、今、女性に増えている感音性難聴。

友人が感音性難聴と診断されました。

  • 耳が詰まった感じがする
  • 音がゆがんで聞こえる
  • 低い音が聞こえなくなる

約80%が女性で、特に20~30代に急増しており、原因は不明。突発性難聴と混同されやすいが、難聴の程度は軽く、治療で聴力は元に戻りやすい。

何も対策を講じないと再発が見られ、蝸牛部がむくむ蝸牛型メニエール病→メニエール病へと移行することも。耳鳴りだけが起きる「無難聴性耳鳴」が前段階として現れることがある。

出典:https://style.nikkei.com/article/DGXMZO99433870Y6A400C1000000?channel=DF140920160921

驚きました。それまで普通に楽しく会話をしていた彼女。

「音が少しずつ聞き取れにくくなっている」

と。

彼女は人と話すことを仕事にしています。相手の言っていることが少しずつ聞き取れにくくなり、ようやく認めて耳鼻科に診断を受け、現在はストロイド治療、と。

改めて耳のことを考えさせられました。聴力を考えさせられました。今後、加齢に伴い、わたしも聞こえなくなる可能性があるのだ、とつきつけられました。

最後に一言。

補聴器は是非、プロの手で選んでください。わたしは補聴器屋のおじさんとかれこれ30年の付き合いで何も言わなくてもツーとカーで通じるのが助かっています。

もう少ししましたら敬老の日が来るかと思いますが、そのあたりにセールをやっている補聴器屋さんが多いと思います・・・!

今年の敬老の日セールでわたしも補聴器を買い替えようと思っています~(^^)/

また、今後、補聴器に関しても書いていきます。まぁ、いろいろとドラマや葛藤がありますしね。

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ワタノユキ

マイペースに生きる主婦 & 在宅ワークの日々(since20141003)。理想と現実の狭間を永遠に彷徨い中。 詳細なプロフィールはこちらにて。 わたしらしく年齢を重ねる もよろしく♡

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