昨年末、機会があり、学生時代の友人の家へお邪魔しました。
実に20年ぶりぐらいで、家の佇まいや久しぶりにお顔を拝見した友人のお母様など懐かしく思い出しました。友人のお母様もそう思ってくださったようで、居間でコーヒーとケーキを囲んで談笑が。
そして、ふいにお母様がわたしの方へ向いて一言。
「お子さんは?」
と告げると、お母様の顔が例の表情に。
世間によくある「あ、聞いちゃいけなかったかな」「あ、傷つけてしまった」「どうしよう・・・」みたいな困惑した表情に。まぁ、それは慣れておりますので見ないフリをしておきました。
しかし、お母様が続けておっしゃったセリフ。
「そうなの、かわいそうにね」
その時のわたしの心境としては「?」という感じでしょうか。
「わたし、かわいそうな子なのか?」と呆然というか、ある種の衝撃を覚えました。思えば、かわいそうと面と向かって言われたのは初めてかもしれません。それだけにわたしはかなり衝撃を受けました。
「かわいそう」とはどういう意味?
ちなみに goo辞書 によると「かわいそう」とは・・・
同情の気持ちが起こるさま。ふびんに思えるさま。
なるほど、お母様にとっては子どもがいないことはかわいそうなことなのね、と妙に納得をしました。
実際のところ、夫婦の間に子どもがいないとかわいそうなのか?
わたしの場合、周囲からそう思われている可能性はあるだろうと認識をしております。「妊娠できなかったのね」「子どもができなかったのね」と。
しかし、我が夫婦はそれほど切実に「子供が欲しい!どうしても子供が欲しい!必要だ!」と思っているわけではありません。
双方の親にもう孫がおりますし、我が家に子どもができなくても問題なし。
後は我ら夫婦のの問題ですが、これに関しては「子どもはできたらできたでいいし、できなかったらできなかったでいい」と思っております。
不妊治療をすすめてくれるお節介な方々もわりかしいますが、「その時はよろしく~」と答え、内心では拒否します。
不妊治療そのものに対して否定も反対もしませんが、わたしの選択肢にはないというだけのこと。わたしは不妊治療をしたくありませんでした。夫婦ともに不妊治療をしてまで子どもが欲しいとはついぞ思わなかったことが最大の要因です。
まぁ、このあたりは各夫婦によって考えが大きく異なってくるでしょう。
ちなみに自分では子供がいない=かわいそう、という発想は一切ありません。
が、他人が「かわいそう」と思うことは自由ですし、哀れまれることも自由だと思っています。人の心までわたしが関知するところではありません。それを面と向かってシミジミと「かわいそうね」と言われ、割合に衝撃的でした。
わたしはかわいそうじゃねー!と叫んでその場から逃げ出したくなりました。
が、そこは大人ですので、ぐっとこらえ「こればっかりは運ですからねー」とかなんとか返したような記憶が。それに対してもお母様は「ほんとうにかわいそうにね~」としみじみとされていました。
余談として、その時の友人のハラハラした顔が妙に面白かったです。
わたしの友人はバツイチ子持ち、経済力バッチリ
思えば、会話の端々にその兆候はありました。
わたしの友人はバツイチ子持ち。
夫に三下り半をつけるや否や、生まれて間もない子どもを連れて離婚をしました。そして、実家のご両親に生後1年にもならない子供を預けて仕事へ復帰。元々、彼女はバリバリのキャリアウーマンですので、子育ての環境さえ確保できればいかようにも仕事で稼ぎ出すことができます。自立した大人の女性。
そして彼女のお母様はそんな娘に対しても「かわいそう、恥ずかしい」という意識があるようで・・・再会して間もないわたしに対してひたすらそのことを訴えてきました。
「娘があんな男につかまってかわいそう。子どもを連れて離婚してかわいそう。父親のいない孫がかわいそう。そしてそんな娘と孫を抱えた自分がかわいそう」
とひたすら「かわいそう、かわいそう」。娘や孫はもちろん、自分もかわいそう、と。
でも、友のわたしからすると彼女の離婚は素晴らしいことでした。
彼女が「あんな男とさっさと別れて賛成!」と心の底から思っております。当時も今も、そしてこの先も。どうしようもないサイテー男だった、と思っています。
彼女の経済力、精神力なら物理的な問題さえ解決をすれば子供を一人で育てることができます。離婚した際、「子どもさえいればあんな男はいらんよね」と二人で納得しあったものです。
それが彼女の揺るぎない強さなのです。
友人のお母様は「かわいそう病」と命名
お母様と離れた後、「無神経な言葉ごめん」と友人がひたすら謝り倒してくれました(?)。
で、二人でしみじみと話し合い、結論が出ました。
「あれはかわいそう病だね」
と。
お母様の脳内では全てがかわいそうに変換されるんだね、無意識なんだねーと。
彼女は仕事が忙しく、独身時代が長かったのですが、その独身時代も酷かったそう。
「結婚できない娘がかわいそう。そんな娘を持った自分もかわいそう」と。で、彼女が結婚した時、喜んだのかと思いきや「あんな男に娘がつかまってかわいそう。あんな男を婿にするわたしがかわいそう」とかかんとか。じゃ、離婚を喜べ―という話ですがね。親の立場になるとまた気持ちが異なるんでしょうね。
「もう慣れたけれど、毎日聞かされるわたしってかわいそうだな、と思うわけよ」
と友人が言い出したので、「アウト、あんたもかわいそう病にかかっている!」となんとかんとかやり取りをし、「決してかわいそう病にならない!」と二人で誓いあいました。
それにしても・・・結婚をして子供を産んで夫婦で子供を育てている夫婦を前にしてもお母様はきっと何らかの「かわいそう」なことを見つけだしそうですね・・・
お母様の脳内では、ありとあらゆることが「かわいそう」なことなんでしょうか。
Googleで1,630,000 件もヒットする「かわいそう病」
帰宅後、試しにネットで「かわいそう病」と検索をかけてみました。
意外といそうだよね、この手の「かわいそう、かわいそう」が口癖の人。すべての出来事を「不幸」として捉える人。悲劇のヒロインタイプ症候群、というか。
すると「かわいそう病」でなんか1,630,000 件もヒットしましたよー
googleの検索結果:かわいそう病
「あるんだ、こんな病気!」と妙にカタルシスを得ました。いや、まぁ、正式な病ではなく、定義されているだけのようですが、それだけ自己であれ、第三者であれ「かわいそう、かわいそう」という人が多いのでしょう。
共通するのは自己憐憫型、自己愛の強いタイプ、悲劇のヒロインタイプ、というところでしょうか。
まぁ、いろいろなタイプのかわいそう病があるということで・・・
それにしてもなんでもかんでも「かわいそう、かわいそう」で人生楽しいんだろうか?
かわいそうかわいそうと常に考えているお母様のほうがかわいそうよ、と思うわたしなのでした。え、これってわたしもかわいそう病? 違う。笑
あと、んー・・・「かわいそう」という心理はいかんですなーと思うわけですよ。
他人に対してであれ、自分に対してであれ。かわいそうと思う心を作り出すのは自分を見つめようよ、と。