親しい友人の「悩み事がいろいろとあって・・・医師から処方された睡眠薬を飲んでいる」という話から、誰にも言えない、言いたくない心の葛藤や悩み、愚痴はどこで発露をするのか、と。
家族はもちろん、職場の同僚や友人、知人に言えない、でも、一人で抱えるのは苦しい悩み事をどのように処理をし、始末をつけるのか、と。
わたしは彼女の睡眠薬の原因が何であるかは知りません。うっすらと把握はしているけれど、詳細は知りません。そして、彼女は詳細を言いたくないのでしょう。
そんな第三者に言えない、言いたくない悩み事や葛藤、怒り、悲しみ、愚痴、動揺、やるせなさの始末をどうつけるのか。
話し合っていくと、ざっくりと分けると二つの方法に分かれることに気づきました。
何らかの形で悩みを吐き出すかひたすら自分の中で始末をつける、か。
何らかの形で外へ悩みを吐き出す方法
独り言を呟く
独り言を呟きます。
基本的には周囲を見る、もしくは音楽などを流して呟きますが、呟くことで一応整理されていきます。比較的軽く、面倒で避けたい悩みの時によく呟きます。
特にウォーキング時などはぶつぶつと呟いていますね。危ない人です・・・
音楽を流しながらドライブし、吐き出す
一方、友人はドライブ時によく呟く、とのこと。特に真夜中がおすすめ。
子どもが寝た後、車を出して、ひたすらお気に入りの音楽を流しなら、心の内を吐き出す、と。
対向車のテールランプを見ながら、一人で呟いていくこと(時には叫んでいることも!)で心の安寧をはかっているそう。そういえば、若い頃はよく二人で真夜中のドライブをしたことを思い出しました。
車好きの人にはおすすめかもしれません。
ただし、運転に注意をしてくださいね!
紙に書く、破いて処分
これは家にいる時に限ります。
紙を広げてその上にひたすら書いていきます。
書き方はその時々によって異なり、小説のように書く時もあれば、単語の羅列だけの時も。もしくはマインドマップなど図形で書く時もありますが、これは比較的冷静な時ですね。
個人的なお気に入りは紙いっぱいにぐちゃぐちゃに書くこと。理性を手放して書くことが好き。見た目も何も気にしないで書きなぐることが好き。
うかつに口に出せないことはもちろん、かなり具体的に個人や事象を特定して書きます。
そして、書き終えるとそのまま丸めるか、びりびりに破いてゴミ箱へ行きます。振り返りません。発露をするだけです。それでも、スッキリとしない場合はもう一枚、書きます。以下、エンドレス。
わたしはあまり好きではありませんが、キーボードの方が良い方はそちらでもいいかも。
Twitterの闇アカを運用
フォローゼロ、フォロワーゼロの鍵をかけたアカウント(第三者には見られない)を「闇アカ」として運用しています。
Twitterのいいところはスマホさえあればいつでも、どこでも、思いついたら書けること。
電車の中でも、誰かと話している時でも(トイレとかで!)、買い物の途中でも、ウォーキングの途中でも、仕事の途中でも、いつでもどこでも書き込むことができます。
かつ、Twitter特有の140文字という制限がいい。140文字という制約が感情の爆発を制御してくれます。
とりあえず「文字」にすることでやや落ち着きます。さっと書いてさっと読んでさっと削除します。わたしの場合、闇アカにツイートした内容は一切残さないと決めています。
見知らぬ第三者に心の内を話す
実際のところ、見知らぬ第三者に話すのもいいです。
その見知らぬ第三者をどのようにして探すか?やはり「お金を払って第三者を探す」ということが多いですね。
わたしの場合は占い師さんを頼ることが多いですが、住所や電話番号を告げないままにやります。スッキリとするのかと言われると微妙ですが、冷静な第三者と話すことで悩みが整理されることも多いです。
カウンセリングなどもその一つ。
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ひたすら自分の中で始末をつける方法
瞑想をする
自宅で瞑想をしましょう。
実際のところ、頭がぐちゃぐちゃのときは瞑想をしても定まらないことが多いです。瞑想なんかやってられるか!という話になります。
でも、瞑想は脳にある種の「棚上げ」という現象をもたらしてくれます。
結果として頭が冷静になり、静かに向き合うことができるようになるかもしれません。
寺社で座禅をくむ
寺社に行き、座禅を組む方法はかなり有効です。
自宅で瞑想とは異なり、いつもと違う環境で座禅を組むと、聞こえてくる風の音、頬を撫でる風の繊細さ、まつ毛の震え、頭の重み、組んだ足の痺れ・・・すべてが新鮮で鮮やかな色彩をまとって襲い掛かってきます。
恐ろしいほどの勢いでわたしの内を支配し、わたしの中の悩みを吹き飛ばしてくれます。
一種の爽快感に近い感動を味わうことができます。はたまた、酩酊感と申しましょうか。とにもかくもいつも違う環境で内なる自分を見つめることは大いなる何かをもたらします。
一方、自宅の方が落ち着いて向き合える、という人も。
実際のところ、わたしのは寺社の特別感が好きですが、自宅での瞑想の方が落ち着いて向き合える、という人も多いものです。
ひたすら手を動かす
手を動かす手段はなんでもいいです。
わたしは大人の塗り絵や拭き掃除が多いですが、趣味の制作、窓拭き、ふろ掃除、庭の草むしり、豆の筋とり、タイピングテスト、スマホゲームなど集中しやすいものに集中すること。
結局のところ、問題の棚上げというか先送りをしているだけですが、それで得られる何かがあるかもしれません。
ひたすら体を動かす
ウォーキングはもちろん、ジョギング、トレイルランニング、登山、バレーボール、武道などある程度、体に負荷をかける運動のいいですね。
「しんどい!」「もうダメ!」という運動のほうが、悩みを追い払いやすいです。
この苦しさに比べれば・・・と思えればいいけれど、思えないのも現実。
でも、体が悲鳴をあげている間、心の悲鳴は相対的に低くなることは実感しています。苦しみは別の苦しみを忘れさせてくれます。
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頭の中でひたすらそれについて考える
通勤中の電車や風呂場の中、トイレの中など一人の時に頭を支配していることをひたすら考えることも。
考え、考え、考えた果てに「もうどうでもいい」という結論に達するか、「なんとかしなきゃ!」という結論に達するかはあなた次第。
何もしない、時に身を任せる
上の「頭の中でひたすらそれについて考える」の結果論として、ここに至ることも多いです。
そう、何もしない、悩みから目をそらして何もしないで時に身を任せる、と。
まぁ、時としてこれしか選択肢がない時も往々にしてありますよね。
その結果がいいのか悪いのかは何とも言えませんが、何もしないで流れに身を任せる事も時には必要なのかな、と。
結局、最後には何らかの「決断」が必要
そして、最終的には何らかの「決断」が必要になってきます。
あるいは「決断」ではなく、「諦め」「流れ」かもしれません。
でも、それも一つの人生であり、生きている限り、決断、諦め、流れの連続なのでしょう。
さて、彼女はどうするのか。そして、わたしはどうすべきなのか。
40代半ばにして悟りをひらけない我らは口に出せないこと、出したくないことを噛みしめつつも笑って別れました。
さて、どの扉を開こうか。扉の向こうの世界はどのようなものなのか。